ウクライナ・コサック wikipedia|無料辞書
◆ 概要
◇ 歴史
「コサック」という言葉は「群(社会)を離れた者」という意味の
トルコ語から来た言葉である。
14世紀〜
15世紀には、ポーランド王から
貴族としての権利が認められなかったキエフ・ルーシ(
キエフ大公国)の士・豪族の子孫を中心とする
コサック団隊が
ウクライナの
ステップ地帯で出現したとされる。領主への隷属を嫌って「リトアニア・モスクワ両公国の南部の辺境」へ逃亡してきた農民たちという起源説はあるが、文献等による証拠が不足している。コサックは漁業や
海賊行為を営むため、ドニプロ川・
ドン川の辺に住みついた。
ウクライナ・コサックではロシアのコサック軍とは異なる階級や秩序が敷かれた。ロシアのコサック軍と共通する
オタマーン職のほかに、ウクライナ・コサックでは
ラーダによって選出される最高職として
ヘーチマンを置いた。ウクライナ・コサック第一のポリシーは「自由と平等」で、これに反する者はその身分に拘らず社会から追放された。
1648年にはヘーチマン・
ボフダン・フメリヌィーツィクィイの先導によりウクライナ・コサックがポーランドに対する大規模な反乱(
フメリヌィーツィクィイの乱)をおこしたが、その反乱は
ロシア(
モスクワ大公国)を巻き込んでウクライナ解放戦争の様相を呈した。しかしながら、彼はウクライナのポーランドからの独立を勝ち取ったものの、その際にモスクワ大公国に援助を申し出たため、それを逆手に取られその後長年にわたるロシアによるウクライナ支配を招いてしまった。それでも彼は現在ウクライナでひとりの英雄として扱われており、首都
キエフには彼の銅像の立つ広場があり、道を走るバスにも「
ボフダン」のブランド名を持つものがある。また、彼の肖像は5
フリヴニャ紙幣にも用いられている。