・同教会は
第二次世界大戦で破壊されたが、
1951年再建にあたり、内装を日本人宗教画家
長谷川路可が担当し、内陣5面の日本聖殉教者殉教場面とエピソードの
フレスコ壁画、内陣天井画として和装の聖母子像と聖人像、会堂両側の壁龕6面の聖画を6年がかりで独力で描き上げた。この功績により、
1954年10月、長谷川路可はチヴィタヴェッキア市名誉市民に列せられている。また、帰国後の
1960年、第8回
菊池寛賞を受賞した。なお、長谷川路可は
1967年、残された天井画の完成や
イスラエルナザレの
受胎告知教会に描く予定の
モザイク『華の聖母子』制作の交渉で
バチカンを訪れ、7月3日
ローマで客死した。遺骸はチヴィタヴェッキアに運ばれ、7月7日、同教会でチヴィタヴェッキア市葬が執り行われ、数千名の市民が列席したという。