ボナパルト家の息子として裕福な生活を過ごしていたが、ナポレオンが
1815年、
ワーテルローの戦いに敗北すると、母オルタンスに引き取られて父ルイとは別居し、
ドイツ・
イタリアを転々とした後、
スイスの
チューリヒ州にあるアレネンベルク城で育つ。
1821年には
アウクスブルクの
ギムナジウムに入学する。こうして
ドイツ語圏で育ったため、ドイツ語が第一言語となってしまい、彼のフランス語からはドイツ語訛りが抜けなかったという。このため一部の保守派や反ドイツ主義者からは「フランス皇帝でありながらドイツ人のようなフランス語しか喋れない」と不評を買うこともあった(母語であるドイツ語への愛着から、
アルザスを視察した際、住民にドイツ語を保持するよう訴えたというエピソードすらある)。