1868年には、急進派と労働者組織の連合であり、ヨーロッパ各地に支部を持つ国際組織
第一インターナショナルに加入。のち、自身の支持者とともに
ジュラ連合を形成した。1872年の大会は、議会選挙への参加を主張するマルクス一派と、それに反対するバクーニンらの衝突に終始した。バクーニン派は議決で敗れ、同大会の終わりには、インター内部で秘密裏に組織活動を行ったとして、バクーニンと支持者の一部が除名された。彼をはじめとする
アナキストたちは、大会が公正に運営されていないとして同年スイスのサン・ティミエで独自にインターの会議を開催している。バクーニンはこの他のヨーロッパの社会主義運動においても精力的に活動した。『国家制度とアナーキー』『神と国家』など、後世に多大な影響を与えた著書の多くは1870年から1876年の間に書かれたものである。体の不調を押して
ボローニャ蜂起に参加しようとしたが、ついには馬車の積荷に紛れてスイスに戻る羽目になり、その後ルガーノに暮らした。ヨーロッパの急進派として活動を続けたが、健康状態が悪化して
ベルンの病院へ運ばれ、同地で1876年に死去した。