書籍-LINK.com [05/26update]

▼最新情報をCheck!!▼


「ミラノ公国」||書籍-LINK.com [05/26update]

ミラノ公国 wikipedia|無料辞書

前のページ 1/2 次のページ
ミラノ公国(Ducato di Milano)は、1395年から1535年(断続あり)までイタリア北部の都市ミラノ首都として存在した公国である。

◆ 歴史
ヴィスコンティ家1311年にはすでにミラノ僭主であった。ミラノは、アルプス越えの大通商路の合流点に位置していて、手工業、工業(繊維、冶金)と農業(干拓技術、運河、灌漑)の重要な中心に変っていた。
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1378年 - 1402年)は一族の広大な領地(ロンバルディアピエモンテヴェネトの一部、エミリアとイタリア中部のいくつかの都市など)を統合した、そして1395年神聖ローマ皇帝ヴェンツェルからミラノ公の称号を授かった。
ジャン・ガレアッツォが死ぬと、息子のジョヴァンニ・マリーアは父が征服した領地の維持ができず、公国は解体した。
1412年、ジョヴァンニ・マリーアは暗殺され、弟のフィリッポ・マリーアが後を継いだ。公国は再建され、父の時代の拡張政策も再開し、ヴェネツィア共和国との対立に入った。
戦争は10年(1423年 - 1433年)続き、フェラーラの和によって終了、ブレシアとベルガモをヴェネツィアに割譲した。
1435年には、ナポリ王国ジョヴァンナ2世が後継者を遺さずに死んだ。王位はヴァロワ=アンジュー家アラゴン王家で争われ、フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティはヴェネツィア、フィレンツェと同盟を組み、アンジューに与した。しかしミラノはアラゴン家の支配下となった。そしてフランチェスコ・スフォルツァ率いる旧同盟軍に敗北した。
次の年の1441年、フィリッポ・マリーアはクレモナの和に調印し、ヴェネツィアに領土の一部を譲渡し、クレモーナを婚資に一人娘のビアンカ・マリーアをフランチェスコ・スフォルツァの妻にした。
1447年にフィリッポ・マリーアが亡くなると、ミラノでは継承戦争が勃発した。
ミラノは共和国宣言を発布し、スフォルツァ家に防衛させたが、その立場を利用してフランチェスコ・スフォルツァがミラノ公を僭称した(1450年)。
ヴェネツィアはロンバルディアでの支配権の拡大を期待して、アラゴンアルフォンソ5世ドイツ王フリードリヒ3世(1440年 - 1493年)と手を組んでスフォルツァ家に対抗した。