ミラノは日本の
稚内市とほぼ同緯度に位置するが、最寒月の平均気温がおよそ5℃程度と、比較的温暖。イタリア全土では首都ローマに次ぎ第2位、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心。観光地としても名高い。約390万人の居住者を擁するイタリア最大の都市圏を牽引している。1982年に1,607,804人いた人口はその後ドーナツ化現象で長く減り続けたが、ここ数年はおよそ130万人前後で落ち着いている(2006年5月31日時点の人口は1,303,670人)。
ミラノは古代にはメディオラヌムとよばれ、
紀元前600年の
ケルト人の町を元にしている。前222年にローマによる征服があったが、そのどちらにもMediolanum(平原の真中)と呼ばれた。293年から402年まではMailandとも言われた。その後は
ローマ帝国のもとで繁栄し、4世紀、司教
アンブロジウスと皇帝
テオドシウス1世の時代には
西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろ、
アッティラに指揮された
フン族の略奪をうけ、539年には
ゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちはしだいに大司教の世俗的支配から脱していった。
東ゴート王国、
東ローマ帝国、
ランゴバルド王国の時代を過ぎ、11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と
神聖ローマ帝国からの独立を果たした。