ユニバーサル・ピクチャーズの創業者
カール・レムリー(Carl Laemmle)はユダヤ系ドイツ人で、
1884年にドイツ南部ヴュルテンブルク州ラウプハイムからアメリカへ移民し、
ウィスコンシン州オシュコシュに住み衣服店を経営した。
1905年、買い付けで赴いた
シカゴで初めて
ニッケルオデオンと呼ばれる安価な映画館の人気に触れた。一節では、レムリは数時間も切符売り場を見つめて客数を数え、一日の売り上げがいくらになるかを計算したという。シカゴへの旅から数週間で彼はそれまでの商売をたたみ、ニッケルオデオンを数軒買収し映画ビジネスを始めた。
1908年、映画関係の
特許多数を持つ発明王
トーマス・エジソンは、自社をはじめとする当時の映画製作会社や配給最大手ジョージ・クライン、フィルムを製造する
イーストマン・コダックと組んで映画配給を独占する
トラスト「モーション・ ピクチャー・パテンツ・カンパニー」(Motion Picture Patents Company, MPPC, 別名エジソン・トラスト)を設立した。レムリほか当時の映画館経営者にとって、これはトラスト参加各社の作る映画を上映する度に料金を払わねばならなくなることを意味した。エジソンは映画用カメラや上映機など映画関係の機械に使われる
電気モーターなど、多数の部品の特許をたてに、映画の撮影から上映までのすべての過程から料金を徴収して映画産業独占を強めようとした。
レムリほか不満を抱いたニッケルオデオン経営者らはエジソンへの料金支払いを回避するために独自の映画製作を行うこととし、
1909年6月、カール・レムリとエイブ・スターン、ジュリアス・スターンはヤンキー・フィルム・カンパニー(Yankee Film Company)を設立、同社は急速に拡大しインディペンデント・ムービング・ピクチャー・カンパニー(Independent Moving Picture Company, 略称 IMP)となった。レムリは、出演料の高騰を防ぐため
俳優の名を映画にクレジットしないというエジソンらの慣習を破り、登場するスターらの名を表示するようにしたため、当時の主要な映画俳優の多くがレムリらと仕事することを望んだ。こうして彼は
スター・システムの形成に成功した。
1910年、それまでバイオグラフ・スタジオ(Biograph Studios)の映画に出演し単に「バイオグラフ・ガール」と呼ばれていた女優
フローレンス・ローレンスの宣伝を手掛け、アメリカの映画会社として初めてスター俳優の名を映画のマーケティングに使用することとなった。