1936年1月、前年3月に再軍備宣言をした
アドルフ・ヒトラーは、ラインラントに軍を進めることを決め、
2月12日、彼は
国防軍最高司令官の軍務大臣
ヴェルナー・フォン・ブロンベルク将軍に意図を知らせ、陸軍総司令官
ヴェルナー・フォン・フリッチュに歩兵大隊と
砲兵中隊をラインラントに進めるに何日かかるかを聞いた。フリッチュは部隊編制に3日かかると答えた。彼自身は、
ドイツ軍が
フランス軍と戦争できる状態に無いと信じていたので、交渉での解決を望んでいた
[Rupert Matthews, ヒトラー:軍事指導者(Hitler: Military Commander) (Arcturus, 2003), p. 115.]。
ルートヴィヒ・ベック陸軍参謀総長はヒトラーに、ドイツ陸軍はフランス軍の反撃からドイツを防衛することはできないと警告した
[同書(Ibid), p. 13.]。ヒトラーは、フランス軍がドイツ軍の進軍を止めるために軍事介入を行う様であれば、ドイツ軍は即座に撤兵すると言ってフリッチュを安心させた。作戦は、
冬季演習の秘匿名称の下に、フランス政府の省庁が休みになる土曜日に実施された。1936年3月7日、夜明け後すぐ、19個の歩兵大隊と、少数の
航空機が非武装地帯のラインラントに入り、午前11時にはライン川右岸に到着、その後、3個大隊がライン川を渡った。
偵察部隊が、数千のフランス兵が独仏国境に集結しているとの報告をもたらしたのでブロンベルク将軍は、ヒトラーに撤収を進言したが、ヒトラーは、フランス軍が国境を越えたかどうかを尋ね、越えていないと聞いて、ブロンベルクに何かがおきるまでフランス軍は何もしない、ただ待っているだけだと保障した
[同書(Ibid), p. 116.]。
100個
師団以上の兵力を持ち、この時点ではドイツ軍と比較して優れた軍備を保有していたフランスは、ドイツに対してその兵力を使用する精神的な準備ができていなかった
[Shirer quotes the figure of France having 100 divisions compared to Germany's four battlions.]。2月にドイツ軍が進駐する予定を察すると、首相
アルベール・サローは陸軍首脳部に対策を尋ねた。陸相
ルイ・モラン()は「我がフランス陸軍は純粋に防衛部隊として
マジノ線に配置するために編成されている」と答え、参謀総長兼総司令官
モーリス・ガムランは「進駐兵力が限定され、演習や要塞構築などの準備が行われないならドイツのラインラント進駐は容認できる」と答えている
[児島襄 『誤算の論理』 文春文庫 (1990年)ISBN 4-16-714134-5]。