劉安はたびたび謀反を謀り、またそ朝廷からも長い間疑惑の目で見られていた。伍被は主君の謀反に強硬に反対していたが、劉安は怒って伍被の両親を投獄して謀反計画への加担を強要した。伍被はそれでも言葉を尽くして劉安を諌めた。
元朔6年(
紀元前123年)、劉安の謀反の意思が発覚して、朝廷(
武帝)が事の真偽を追究しはじめると、劉安はいよいよ反乱を起こそうとした。伍被はなおも劉安を諌めたが聞き入れられなかったので、やむなく反乱のための戦略を述べた。しかし劉安は謀反計画を決心することができず、朝廷からの使者を受け入れることにした。そこで伍被は朝廷からの使者のもとに出頭し、劉安の謀反を密告した。劉安は自害し、一族もことごとく処刑されたが、密告者の伍被も加担の罪を問われて処刑された。