1891年に
大審院長に就任し、間もなく
大津事件が発生した。被告人である
津田三蔵は
大逆罪により大津地方裁判所に起訴されたが、総理大臣
松方正義ら政府首脳が大逆罪の適用を強く主張していたこともあり、大審院は事件を自ら処理することとした。これに対して、児島は津田の行為は大逆罪の
構成要件に該当しない(
罪刑法定主義を参照)との信念のもと、担当司法官一人ひとりの説得に当たった。結局、大審院は津田の行為に謀殺未遂罪を適用して無期徒刑を宣告した。児島は、
司法権の独立の維持に貢献した「護法の神」と日本の世論から高く評価され、当時の欧米
列強からも日本の近代化の進展ぶりを示すものという評価を受けた。
尚、同村須ノ川には「児島」の姓が多い事、父惟彬が金子家に養子に入る前に一時赤水の豊島家の養子に入っていた事などが児島姓を名乗る事に繋がったのではないかと言う説もある。