卜部氏は
古代より
卜占を司り
神祇官を出す
神職の家柄であり、父兼顕も
吉田神社の神職であった。母や生年は明らかでないが、一般には弘安6年ごろの出生と考えられている。
堀川家の
家司となり、
正安3年(
1301年)に
後二条天皇が
即位すると、天皇の生母である
西華門院が
堀川具守の娘であったことから
六位蔵人に任じられる。
従五位下左兵衛佐にまで昇進した後、30歳前後に出家遁世するが、その詳細な時期や理由は定かでない。『徒然草』に最初に注目したと言われる
正徹の歌論書『正徹物語』以来、後宇多法皇の死を悲しんで発心したとする説もあったが、1324年の法皇崩御のはるか以前、1313年以前には遁世していたことが文書から確認されており、後宇多院崩御を契機とする説は現在では否定されている。法名としては、俗名を音読した兼好(けんこう)を名乗った。
没年は、『
大日本史料』所引の『諸寺過去帳』収載『
法金剛院過去帳』の記載や、17世紀中葉の大和田気求『徒然草古今抄』の記す伝承により、
観応元年/
正平5年
4月8日(
1350年5月14日)ともされていたが、この日付以降の活動を示す史料が複数指摘され、その中でもっとも遅いものとして1352年8月の『
後普光園院殿御百首』奥書に名前がみえることから、現在の通説ではこの年以後と考えられている。なお、生年の弘安6年というのは、観応元年を没年とする伝承の一部に享年を68歳と記すことからの逆算であるが、特に否定する史料が発見されていないことから、恐らくこの頃の生誕とされている。