周昌は直言も辞さない人柄で、蕭何、曹参以下皆がへりくだった。周昌が宴会時に劉邦に上奏しようとしたところ、劉邦が愛妾の戚姫を抱きかかえていたのを見てその場から逃げ去った。劉邦が追いかけて「私はどんな主であろうか?」と周昌に聞くと、周昌は「
桀、
紂のような主でございます」と答えた。劉邦は笑ったが内心周昌を憚った。また、劉邦が
皇太子を替えようとした際にも強く諫言し、もともと吃音であったが怒りのあまり口がきけなくなり、「私は口では言えませんが、皇太子を替えてはいけないことが分かります。陛下が皇太子を廃しようとしたら、わたしは必ずや、必ずやその詔を奉じないでしょう」と言った。劉邦は笑って話を沙汰止みにした。それを耳をそばだてて聞いていた皇太子(
恵帝)の母である
呂后は周昌にひざまづいて「貴方がいなかったら、皇太子は廃されるところでした」と感謝した。
劉邦は皇太子にしようとしてできなかった趙王
劉如意(戚姫の子)が、自分の死後どうなるかが心配だった。そんな時、
御史の
趙堯が「呂后や大臣たちも憚る人物を趙王の丞相になさればよい」と進言した。そこで劉邦は周昌を趙王の丞相にした。周昌は「私は最初から陛下に付き従っていたというのに、陛下はどうして諸侯の中に私を捨ててしまうのですか」と泣いて抗議したが、劉邦は「私もこれが左遷であるとはわかっているが、趙王のためを思うとお前にしかできないのだ。強いて行ってくれ」と言った。