26歳で評論『
小説神髄』を発表。江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説はまず人情を描くべきで世態
風俗の描写がこれに次ぐと論じた。この心理的
写実主義によって
日本の近代文学の誕生に大きく貢献した。また、その理論を実践すべく小説『
当世書生気質』を著した。しかし逍遙自身がそれまでの
戯作文学の影響から脱しきれておらず、これらの近代文学観が不完全なものに終っていることが、後に
二葉亭四迷の『
小説総論』『
浮雲』によって批判的に示された(『浮雲』第一編は営業上の理由で坪内雄蔵名義で刊行された)。
「沙翁全集」全40冊、第一編(12月)のみ富山房と早稲田大学出版部との共同出版、第二編以降は早稲田大学出版部の単独出版。第40編は著述で「シェークスピア研究栞」(12月刊行)当初第23編迄は「沙翁傑作集」と称し、第24編より「沙翁全集」と改称、以後最初の分も「沙翁全集」と改称。
「新修シェークスピア全集」全20函(全40冊、1函に2冊収納)中央公論社。上記早大出版部本の改訂だが「オセロー」など殆ど新稿と云っても良いほど面目を新たにしている。(9月より5月迄配本)以後この版を底本として戦後に創元社(全1冊)、新樹社(分冊)等から新版が出されている。中央公論社版は誤植が少なくなく付録月報の「沙翁復興」に正誤表が掲載されている号があるのでそれで訂正して利用すべきである。
妻センは東大の近くにあった
根津遊廓の大八幡楼の
娼妓・花紫で、学生であった逍遙が数年間通いつめ、に結婚した。これをテーマにした
松本清張『文豪』がある。二人には子がなく、逍遙は兄義衛の三男・
士行(元
宝塚歌劇団職員で演劇評論家)を養子としたが後に養子縁組を解消した。(士行の妻は宝塚歌劇団1期生の雲井浪子、その子は女優・
坪内ミキ子)