大学在学中からテレビや映画の分野に進出し、ポピュラーからクラシックまで幅広く作曲活動を行う。同時に、テレビなどを通したクラシック音楽の普及・大衆化に力を注いだ。中でも最も知られているのは、1973年から10年間放送された
TBSのテレビ番組「
オーケストラがやってきた」の企画・音楽監督・出演である。また、1983年に落成した
大阪城ホールのこけら落としとして、
毎日放送の斎藤守慶とともに「
サントリー1万人の第九」を企画する。
サントリーの故・
佐治敬三社長の後押しもあり、83年スタート。98年の第16回まで連続して構成・総監督・指揮を務めてきた。このほか、
NHKのFMラジオ放送「
FMシンフォニー・コンサート」(番組そのものは2007年まで継続)の司会なども務めている。
口ひげと黒縁メガネがトレードマークとして知られ、その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えていた。
森永製菓「エールチョコレート」のCMソング『大きいことはいいことだ!!』、
日本船舶振興会(当時)の『火の用心の歌』を手がけた際には、自らCMに出演した。
音楽関係者の間では「日本の音楽普及に最も貢献したひとり」と高く評価する声もある。だが一方で、生前は周囲とのトラブルや、
1978年8月6日に起こした交通違反スキャンダル(妻正美と共に
銀座の映画館で『
男はつらいよ』を観て帰宅する途中、最初は正美が自動車を運転していたが、途中で正美の気分が悪くなったので直純が
運転免許証失効中にも拘らずハンドルを握ったところ、たまたま自動車の無灯火の取締りをしていた
警視庁三田警察署の
警察官に
職務質問を受けた。このとき直純が停車を拒んで逃げたため
公務執行妨害罪に問われ、翌日に
警視庁丸の内警察署に出頭した事件。同年
8月10日に
書類送検されると共に謝罪会見を行った。逃げようとしたとき警察官を引きずったか否かが問題になったが、最終的に直純の自動車からは警察官の手の跡が発見できず
不起訴となった。しかし『オーケストラがやって来た』は1年半の自粛を余儀なくされた
[『紅いタキシード』pp.148-151])などでマイナスイメージがつき、その功績に比して音楽家として世間から必ずしも高い評価を得られてはいなかった。晩年は再び純音楽の舞台への復帰を強く願っており、FMの解説者のような仕事も再開させていた。
岩城宏之とは無二の親友であった。
1999年には、妻の心臓発作を機に
キリスト教(
カトリック)に入信している。洗礼名はフランシスコ。