ともあれ、以後表面上は平穏な治世を送り宮廷の文化が盛んな時期(
弘仁文化)を過ごした。818年、
弘仁格を発布して死刑を廃止した。中央政界における死刑の廃止は以後
保元の乱まで347年間続く。だが、当時は農業生産が極度の不振(『
日本後紀』によれば、
817年より7年連続で
干害などの被害を受けたとされている)にあり、その結果として当時財政難は深刻であった。また、最末期には
墾田永年私財法の改正などを行って大土地所有の制限を緩和して
荒田開発を進め、
公営田・
勅旨田の設置などが行われている。