昭和19年(
1944年)12月、
学習院初等科に在学していた長女の慧生を日本に残して満州国の首都新京にもどる。翌昭和20年(
1945年)8月
ソ連対日参戦によって新京を攻められたため脱出し、終戦を朝鮮との国境近くの
大栗子(通化省
臨江県)で迎える。夫が皇帝の飛行機による日本への亡命に同行する一方、浩は陸路で
朝鮮に行き、そこから海路で日本へ帰国することになった。
釈放後、同年9月に
葫芦島に至り、そこで
日本への引揚船を待つ。しかし、同地で
国民党軍に身柄を拘束され、
北京を経由して同年12月に
上海へと移される。同月、上海の拘束場所から脱出し(旧日本軍の元大尉
田中徹雄(のちの山梨県副知事)によって救出され)、上海発の最後の引揚船に乗船し、翌昭和22年(
1947年)1月に日本に帰国した。なお、上記の流転の日々から帰国までの間、次女の?生をずっと伴っていた。