1946年に西南学院商科を卒業。
1946年、
九州大学法文学部哲学科に入学、のち英文科に転科。
1947年6月に最初の妻と入籍。大学に在籍する傍ら、
長崎女子商業高等学校で英語を教えて生計を立てる
[このころ、米兵の情婦に手を出して授業中に怒鳴り込まれたことがある(佐藤愛子『死ぬための生き方』海竜社、1993年、pp.184-185)。]。
1948年3月、長女が誕生。
1949年12月、大学4年生の時、『
西日本新聞』の懸賞論文に『文学作品を読むこととは』を応募し三等に入選、賞金1000円を獲得。このころ学友会文藝部で小説を書き始める。
1949年6月、『九大文学』に処女作『綿埃』を発表。同じ頃、同誌に川上翠雨の筆名で
俳句を発表。