初代が没したのち、
天明7年 (1787) に家元を相続した二代目文字太夫は、二代目岸澤式佐、
鳥羽屋里長などの
三味線方に支えられて大いに活躍し、後の興隆の基礎となる『
関の扉』『
戻駕』『
双面』など、
歌舞伎舞踊の名曲を初演したことで知られる。またこの時期、二代目死後、遺児三代目文字太夫を補佐した三代目兼太夫などによって
浄瑠璃の語り口に洗練が加えられ、これまでの古曲とは違った、当世流で瀟洒な味いが常磐津に生まれたことも逸することのできない改革である。
幕末における常磐津は、四代目
常磐津文字太夫(1804-62年、
豊後大掾)と五代目岸澤式佐(1806-67年、古式部)という二人の名人によって完成期を迎える。
文政年間から提携をはじめた二人は、常磐津の特色を生かしながら『宗清』『
将門』『
靱猿』『
勢獅子』『
三世相』などの傑作を残し、
江戸三座でその芸を披露した。なお、
安政年間より、
三味線方の岸澤家が分派を興そうとする動きを見せ、長くその騒動が続いたが、
1927年の第一期常磐津協会発足により一応の和解を見た。現在でも常盤津の
太夫・
三味線方には、常磐津姓と岸澤姓とがある。