文章博士菅原文時に師事して
文章生から大内記兼
近江掾となる。に
念仏結社『
勧学会』の結成に力を尽くした。には元号を「
永観」に改める際の
詔(みことのり)などを起草している。若い頃より
仏教に対する
信仰心が厚く
[『日本往生極楽記』序文、『続本朝往生伝』による。]、息子の成人を見届けると
[『続本朝往生伝』による。]、に出家して
比叡山の
横川に住した。また同年、念仏結社『
二十五三昧会』の結成にも関わったとされる。法名は始め心覚と称し、その後寂心と改めている。
内記入道とよばれ、諸国を遍歴した後、洛東
如意輪寺で没した。また、
藤原道長に
戒を授けたたこともあり、保胤が没した際、道長がその供養のために、
大江匡衡に諷誦文
[故人の追善供養のために供物とともに僧に差し出す読経を請う文のこと。このときの諷誦文が『本朝文粋』14にある。]を作らせたとされる
[『今鏡』347段]。