父の三条天皇は、
藤原道長の圧力により、道長の孫にあたる
一条天皇の第2皇子敦成親王(
後一条天皇)を
皇太子とし、
長和5年1月29日に敦明親王は
後一条天皇の
皇太子となった。しかし、三条天皇が
崩御すると、道長はまたもや敦明親王に圧力をかけていた。一方の親王側も14歳も年下の天皇の皇太子では次期天皇としての即位の可能性は低いと考え、自ら皇太子廃位を願い出た。これにより、
寛仁元年8月9日に
皇太子を辞退、同25日に道長の計らいで
小一条院太上天皇の尊号が贈られ、いわゆる准太上天皇としての処遇を得る一方で、道長の娘
寛子(母・
源明子)を妃に迎える。更に
家司として
受領・
随身を受け、親王所生の子供達が三条天皇の
猶子の資格として二世王でありながら
親王宣下を受けるなど破格の待遇を受けた。