文明開化は、
江戸時代を通じて連綿と続いてきた
封建制色濃い
日本文化が
鎖国などの事情で飽和状態に達していた所に、政治体制の刷新にも伴い流入した
西洋文化によって発生した日本での西洋文明の吸収・取り込み現象であり、「文明開化」という言葉は
福澤諭吉が『
文明論之概略』明治8年(
1875年)の中で、civilizationの訳語として使ったのが始まりである。この中では単純に西洋の文化・風俗を模倣したものから、或いはそれら文化や風俗を手本としながら日本の既存文化との融合を図ったもの、更には既存文化を西洋風にアレンジしたものなど多岐に渡り、過渡期的には熱病の如き
流行となって様々な社会階層に受け入れられていった。
この時代を象徴する言葉として有名なものに「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という言葉があり、
散切物と呼ばれる
歌舞伎芸能の新形態発生などといった現象がみられ、
仮名垣魯文の『安愚楽鍋』にある「牛鍋食わぬは開化不進奴」(現代風に意訳すれば「牛鍋を食わないとは、とんでもない時代遅れな奴だ」)といった食文化の変化などが、
大衆の生活にも取り入れられていった様子が伺える(後述)。
なお急速な西洋化の一端には、西洋列強国が当時盛んに
植民地経営で、莫大な富をアジア諸国から吸い上げていたことに対する危機感も見出される。この中では、上に挙げた富国強兵の一環で西洋
軍事技術の導入も盛んに行われ、軍隊では兵隊の腕力や体力を強化する目的で、提供される食事(軍隊食)までもが西洋化された。ただ当時発足したばかりの
日本軍は地方農村部などの次男・三男を集めた集団であり、
米飯や
日本食で育った彼らの中には、あまりに異質な西洋の料理に対して拒否感を示す者も見られた。このため海軍などでは米飯とカレーを組み合わせる・
肉じゃがのように
醤油味の折衷料理を開発するなど工夫を凝らした。カレーライスは後に
横須賀海軍カレーとして、また肉じゃがのような料理も軍港周辺部へと広がっていき、時代を下がって昭和時代にもなると、一般的な家庭の味として広く受け入れられている。