また、義貞の長子
義顕の生母を
安東氏とする史料があり、これを有力な
御内人安東入道聖秀の娘であるとする説がある。これが事実とすれば、没落
御家人の新田本宗家が
得宗家御内人の
安東氏の娘を娶ったことになる(または、聖秀の一族の
上野国甘羅令(
甘楽郡地頭)の
安藤五郎重保(
左衛門少尉)の娘の説もある)。
霜月騒動で上野国の
守護が
安達氏から
得宗家へと替わり、上野でも得宗専制の影響が強くなってきたと見られ、必死になって権力にすがり付いて衰退する新田本宗家を立て直そうとする父・朝氏と義貞の涙ぐましい努力が垣間見える。また、その衰退に伴って新田本宗家の一族に対する影響力も下降線をたどっており、
元亨2年(
1322年)に、一族の
岩松氏系の
岩松政経と本宗系に近い
大舘氏の
大舘宗氏が用水争いを起こした際、
幕府に裁定を持ち込んでいる。おそらく義貞の裁定では収まらなかったのであろう。