津田左右吉は「旧辞」を記紀の記述のうち説話・伝承的な部分の元になったものであると考え
[津田左右吉『日本古典の研究』]古事記の説話的部分が概ね武烈天皇のあたりで終わっておりその後はほとんど系譜のみの記述となること、また日本書紀の記述もこのあたりで大きく性格が変わり、具体的な日時をあまり含まない説話的な記述を中心としたものからきちんと日時の入った記録をもとにした記述中心に変わっていると見られる等の理由から「旧辞」の内容はこのあたりで終わり、その後まもなくそれまでもともと口承で伝えられてきた「旧辞」が6世紀ころに文書化されたものであると考えた。この説は現時点で通説になっているといえるが、古事記の序文を厳密に読む限りでは、史書作成のための作業は帝紀及び旧辞の両方に対して行われたものの、古事記自体は帝紀及び旧辞のうち旧辞のみをその内容とするはずのものであり、現在の古事記が系譜と説話の両方を含んでいる以上、「帝紀が系譜を内容とし旧辞が説話を内容とする」という現在の一般的な「帝紀及び旧辞についての一般的な理解」は成り立たないとする見解もある。また、諸家がそれぞれ持っているとされる『旧辞』のような一定の条件を満たす複数の書物ないしは文書の総称であると考えられる「普通名詞」と、『先代の旧辞』や『勅語の旧辞』といった特定の時点で編纂された特定の書物を示すと見られる「固有名詞」とは明確に区別するべきであるとする見解もある
[遠山美都男「根拠に乏しい『帝紀』『旧辞』の成立年代」『日本書紀は何を隠してきたか』洋泉社新書y035、洋泉社、2001年7月21日、pp. 196-204。 ISBN 4-89691-549-6 もとは「『帝紀』『旧辞』を復元する」として「歴史読本」1999年4月号、新人物往来社に掲載]。また古事記の序文などにはそれぞれ名前は微妙に異なるものの、ほとんどの場合に『帝紀』と『旧辞』をはじめとして二つの史書が並べて記されていることなどから、これらは単に別々のものを並べているのではなくもともと組み合わせることを前提に作られた一体のものであり、二つの史書を組み合わせた
中国の
紀伝体とは異なる「日本式の紀伝体」とでもいうべき形態が存在するのではないかとする見方もある
[倉西裕子「『日本式紀伝体』は存在した - 二本の史書を一対とする編纂記述様式」『記紀はいかにして成立したか - 天の史書と地の史書』講談社選書メチエ、講談社、2004年6月10日、pp. 46-59。 ISBN 4-06-258101-1 ]。