聖書は、世界の創造と人類の誕生から始まり、その後起こったさまざまな出来事を記載している。そして、救済が実現する未来の描写も暗喩などの表現を用いながら含まれている。これはひとつの歴史大系を成している。旧約聖書を
聖典とする
ユダヤ教の中では、これらの認識は基本的に
イスラエル(
ユダヤ人・
ヘブライ人)とその周辺民族についての歴史を叙述しているものに留まっていた。しかしキリスト教は
民族宗教から
世界宗教へ脱皮する過程で、聖書記述の内容を、すべての人類(民族)とあらゆる場所(地域)に当てはめる「普遍」的性質を帯びるようになった。これが発展し、普遍史として体系づけられた。
しかし、旧約聖書にはこのような思想が明瞭に著述されているわけではない。そこにある記述は、神と契約を結んだイスラエルの民が何度も背教行為や契約違反を繰り返したため
神罰が下り、民族は苦渋と迫害の中にあった。だが悔い改め契約に基づく正しい道を歩めば、罪は赦されて再び民族の繁栄を取り戻すというものである。ところが現実には、彼らの苦境は続きさらに悪化していった。そのような中、神との約束である救済を待望する考えは強まり、より過激な形で「黙示録的」終末論が形成された。そして、天地創造から最後の審判までの過程に再解釈が施され、直線的・進歩的かつ終末論的な時間意識と歴史観が確立した。これは、キリスト教に受け継がれて普遍史へと発展しただけでなく、
イスラム教にも影響を与えた。