曹雪芹の家は曾祖父曹璽の代から三代四人にわたって江寧織造の職につき、
江南で清朝のために情報収集活動を行っていた。なかでも祖父曹寅は
康煕帝の
乳兄弟であったことから帝の寵愛を受け、莫大な富を蓄積したが(文人
袁枚の所有として有名になった「
随園」はもと曹家の
別荘であった)、
雍正帝の時代になると寵愛は失われ、家産は没収された。一家は後に
北京に移り、曹雪芹が紅楼夢を書いた18世紀半ばには窮貧はなはだしく、これによって今でも曹雪芹の伝記についてはわからないことが多い。困窮の中でもっぱら「紅楼夢」の完成に精魂を傾けた。ただし、現行百二十回中曹雪芹の書いた部分は八十回までで、残りの部分は散逸または筆禍を恐れて破棄されたという。