8月12日、東京都
新宿区愛住町の
暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父
[梅田の父、潔は青森県三戸郡三戸字梅内村の農家に生まれ、17歳で上京。林董の書生を務めたのちにロシア貿易会社を興した。姓の由来は、梅田の祖父が明治維新の戸籍制本施行の際、地名である「梅内」を姓にするはずであったが、官吏が「梅田」と誤って登録したものであるという。(出典:『紳士の美学-粋でNOWな人のために』 青也書店 1977年)]と文学者の母
[梅田の母、玲子は、俳人として玲如とも号し、同年生まれの俳人、原石鼎が主宰する俳句誌『鹿火屋』へ作品を発表するなどして活躍した。また、岸田劉生、小林徳太郎、島村抱月、平塚らいてう、松井須磨子、柳原白蓮などの当時の文化人たちとも交流した。(出典:『石鼎とともに』 原コウ子著 明治書院 1979年)]との間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣
[当時の梅田家では、毎週日曜日にサモワールで沸かした湯で紅茶を淹れるのが習慣であった。(出典:『太陽』NO.132 特集:大正時代 平凡社 1974年)]の中で育ち、に
慶應義塾大学幼稚舎に入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育
[梅田の二人の子息も慶應の一貫教育を受けている。]を受ける。外国製の家具調度品に囲まれて育った梅田は幼少時から物に対する愛着が深く、5歳ごろから「鉛の兵隊」などの玩具収集に熱中していたが、
1930年の春、家庭教師として梅田の世話をしていた10歳年長の従姉からオノト社製の万年筆
[この万年筆は、1975年公開の映画『我輩は猫である』(制作:芸苑社、監督:市川崑、出演:仲代達矢、伊丹十三、岡田茉莉子ほか)に夏目漱石の愛用品として登場している。(出典:『万年筆』 平凡社 1978年)]を譲り受けてから、万年筆をはじめとする物の収集に熱中するようになった
[出典:『万年筆』 平凡社 1978年]。知的好奇心も旺盛で、母の玲子が
丸善から購入した、
チッペンデール風の専用書架つきの
ブリタニカ百科事典第11版は梅田の青年期からの愛読書
[梅田の読書好きは終生続き、なかでも百科事典を熟読することを趣味にしていた。(出典:月刊『サンジャック』 1976年9月号 鎌倉書房)]となる。
1931年(昭和6年)に実家が没落、梅田は母と共に借家に転居する。
1937年、丸善で全10巻からなる洋書のウージェーヌ・ラビッシュの戯曲集を購入。フランス喜劇の戯曲に興味を抱きはじめる
[出典:劇団NLT 第17回公演プログラム 『恋の冷凍保存』 1972年]。