岐阜県高山市生まれ。本名の読みは「なかし」で、筆名は「しゅう」とすることが多かったが、一定しない。
斐太中学校中退。
田山花袋の書生となり、
夏目漱石門下の
阿部次郎らと交遊、1916年、長編『受難者』で名を挙げ、1926年以後ヨーロッパに渡り、帰国後、『
戦旗』に属するプロレタリア作家として活動する。戦中から戦後にかけて、長編『
山の民』を執筆し、
中華人民共和国で最も有名な日本の作家だった。戦後、
豊田正子と夫婦同然に暮らし、
ぬやま・ひろしとの交遊から
文化大革命中の中国に渡り、豊田にこれを礼讃する著作を書かせるが、その後、50歳ほど年少の
天児直美と恋に落ち、豊田を捨てて天児と暮らした。