農林族議員として頭角を現し、「ベトコン議員」と呼ばれた「米価問題懇談会」の斬り込み隊長となって、同期の
中川一郎、
湊徹郎と共に「(イッチャン、ミッチャン、テッチャンの)3チャン艦隊」と呼ばれた。
1973年には
田中角栄内閣の
日中国交正常化や金権政治に反対する親
台湾の右派若手議員によって結成された
青嵐会に参加し、渡辺は中川、湊らと共に代表世話人となった。
中曽根派から離脱した渡辺は、派閥横断の政策集団「温知会」を結成し、党内、特に中曽根派の若手議員を取り込むと共に、全国で新人議員の発掘・育成を始める。その一方で中曽根別働隊としても活動し、大平首相の急逝を受けた総裁選びでは、田中角栄を訪ねて中曽根のために動いた。大平内閣を引き継いだ
鈴木善幸内閣では
大蔵大臣に就任し、財政再建に取り組み、自民党内有数の経済通と認められる。
「ミッチー節」といわれる
栃木弁丸出しの歯に衣着せぬ話術で
マスコミに積極的に登場しお茶の間の人気を得た。一方で、度々舌禍事件を起こし、高福祉・低負担ともとれる当時の野党の政策論への支持を「
毛針にかかるようなもの」と何度も揶揄し野党や野党支持者の反発を招いた。また、「日本人は真面目に借金を返すが、
アメリカには
黒人や
ヒスパニックなんかがいて、破産しても明日から金返さなくても良い
アッケラカのカーだ」と発言し、
人種差別的であると内外から強い批判を浴びる。この他に「
中華人民共和国には穴を掘って住んでいる人がいる」、「
日教組には頭がおかしい先生がたくさんいる」、「
共産党の
宮本顕治だってスパイを殺している」「金持ちを追い出すような僻み根性では国はダメになる。」「いいことばかり言う人に投票する有権者は知能指数に問題がある。」「新党ブームで強姦、強盗が多発する。」などの失言をしている。