唐代の白話として挙げられるものに
敦煌の
変文がある。これは民衆に聞かせる意図で作られたものであるので多分に口語が取り入れられたが、いまだ口語を文章として表現する技巧が確立されておらず多分に文言的要素を含んでいた。また唐から宋にかけて流行した
語録にも口語がふんだんに取り入れられたが、やはり口語を用いて表現できないものには文言が使われていた。
近代に至るまで、白話は、民衆語として低俗なものとされていたが、
1917年(民国6年)、
胡適が、アメリカから雑誌『新青年』に「文学改良芻議」を寄稿し、近代的
プラグマティズムの観点から、難解な
文語文を廃して口語文にもとづく白話文学を提唱した。これは、日本における
言文一致運動と同様の事情である。この運動は
文学革命とも呼ばれ、理論面で胡適が、実践面は
魯迅などによって推進され現代中国語の形成に大きく貢献した。しかし文言の要素は大きく白話にも影響を与え、現在でも
文章語では文言に近い文体が使われることが多い。