古くから長江の南に位置する、
江南の主要都市として栄えてきた。
春秋時代に
呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、
諸樊がこの地を本拠と定め、諸樊の子孫の
闔閭が呉の都として整備したと言われている。
臥薪嘗胆、
呉越同舟の舞台である。
秦以後には
会稽郡、後には同郡から分離した
呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の役所も設置された)。
隋代に蘇州の名が始まったが、
南朝最後の
陳末の民衆反乱(
589年)で町が破壊されて郡の役所なども他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に戻した
唐の
太宗時代以後のことになる。
五代時期には
呉越国の都となり、
北宋の
神宗時代に
府(首都に准じる都市)への昇格に伴って平江府、
元には平江路と呼ばれるようになった。この間、
金の
南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は大規模な打撃を蒙った(
1130年)が、南宋政府によって再建されている。元末の
張士誠も呉王を称して蘇州に都した。
明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化された。
古くから中国の先進的な
絹織物産地として経済的富裕な町であったが、南宋時代に付近で
木綿栽培が広まると綿織物の分野でも屈指の生産を図るようになる。だが、
アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位をいくらか低下させた。