幕末には日本も
開国を余儀なくされて
英語による
英学、
ドイツ語による
獨逸学などの新たな学問が流入するようになったために、オランダ以外の欧米諸国から到来した学術をまとめて
洋学(ようがく)と呼ぶようになるのが一般的となる。
高島秋帆の西洋砲術、
江川英龍(太郎左衛門)の韮山反射炉、
勝海舟の
長崎海軍伝習所など、幕府洋学は軍事的実学性の強いものであった。蛮書和解御用は、外交文書の翻訳にも当たるようになり、洋学所、
1858年設置の
蕃書調所と改編される。洋学研究・教育機関としての蕃書調所は、
1862年(
文久2)には対象言語をオランダ語から、英語などに拡大した。1863年に開成所と改称、幕府瓦解により明治新政府に受け継がれ、のちの東京大学等につながる。