翌
960年、北方の大国・
遼が大挙して押し寄せてきたとの知らせが後周政府に届くと、同政府は殿前都点検・
趙匡胤を国防の総帥に任じ、遼軍への対処を委ねた。趙匡胤が陳橋に入り、いつもの如く深酒をして、深夜に大いびきをかいて熟睡している時に事変が起こった。かねてより、幼君・恭帝を主君に仰ぐことに不安を抱く軍人達が、趙匡胤の弟・
趙匡義を仲間に引き入れ、趙匡胤に首都の
開封に戻り、恭帝に替わり、皇帝になるよう求めたのである。
しかし、この事変は、一説に仕組まれたものであるとも言われていて、
李卓吾は「黄色い衣はどこで売ってたのか?」と指摘している。皇帝専用の衣服が売られているわけがないからだ。事実、この時、遼が軍隊を動かした事実はなく、また、趙匡義達が趙匡胤に着せた黄色の衣もすでに用意されたものであった。また、趙匡胤が即位するに際して読み上げた文章を起草した役人は、体面を気にする趙匡胤によって、生涯出世することは許されなかったという。