額田王が絶世の美人であったというのは、小説などでは通説となっている。しかし、額田王に関する記述がごく限られている以上、その容貌について物語る史料があるわけではない。
梶川信行(『創られた万葉の歌人 額田王』)によれば、彼女の容貌については
上田秋成の『金砂』が早い例だという。つまり、上記の三角関係を想定させるような歌から、彼女自身のイメージが後附けされたものとみてよい。この三角関係についても
富士谷御杖(『萬葉集燈』)・
伴信友(『長等の山風』)の発言など、江戸時代のものが早いと思われる。ともかく、「伝説」は根強いものでもあるようで、梶川によれば、額田が美女であるとの根拠はないとの発言をしたところ、聴衆から食ってかかられたこともあるという。これに類する逸話としては、
伊藤博も、やはり額田王について一般的にもたれているイメージは確証のあることではないという趣旨の講演をおこなったところ、ひとりの婦人に内容の撤回を求められた、というものがある(『萬葉の歌人と作品』)。
聖徳太子にかんしても
藤枝晃の講演をめぐって似通った逸話(
大山誠一『<聖徳太子>の誕生』)があり、歴史上の人物というものが、史料からわかることと、一般に知られる像との間におおきな開きがある例として注目されよう。